プロフィール

はじめまして!

子どもや家族、職場の人たちと調和がとれる
『自然体のポジティブ思考ライフセラピー』の 山口侑希です。 

        


忙しい毎日のなかで、
「何をやってもうまくいかない」

「~しなければならない」 など

自分を追い詰めたりしていませんか?

仕事や家族、子どものことで自分を大切にすることを後回しにしていませんか?


わたしは自分がアダルトチルドレン、HSP(HSS-HSE型)、愛着障害であることで「自分のことはどうでもいい」と思う気持ちが強く、自己肯定感や自己受容がまったくありませんでした。

過干渉型の毒親(機能不全家族)に育てられた私は、自分のことを好きになる、大切にするということを理解できなかったのです。

でも、あることがきっかけで心理学を学ぶようになってから、今のありのままの自分でいいんだと自己受容することができるようになって、自分を大切にしながら毎日を穏やかに過ごすことができるようになりました。

ネガティブな感情をどうにかしようとすればするほど悪循環になって、辛い毎日から抜け出せなくなります。


「どうにかしたい!」 
「どうにかしなければ!」 
苦しい思いをしている方、

トラブルが絶えず、思うように物事が進まなかったり、

生き生きと毎日を過ごすことができずに、

イライラと不安からぬけだせなくなっている方

アダルトチルドレン、HSP、愛着障害の症状で悩んでいる方のサポートしております。

わたしがどんな人生を歩んできたのか、ご興味がございましたら

プロフィールを読んでいただけると幸いです。

私はどこにでもある、普通の家庭に生まれました。

両親と妹とわたしの4人家族です。

周りから見ればとても仲の良い幸せな家族に見えたと思います。

これといった不自由はなく、お休みの日には家族で出かけたりすることもありまた。

でも写真を見ると、私はいつも「作り笑顔」でした。

本当に楽しいと思っているのかな?という感じです。

幼いころの私は、とにかく引っ込み思案で、自分の意見をはっきりいうことができませんでした。

そんな私に両親は、

「ちゃんとご挨拶しなさい」
「もっと大きな声で言わないと聞こえないよ」
「○○ちゃんはもっとしっかりしているよ」  
「お姉ちゃんなんだからお手本見せてあげなきゃ」

とよく言われていました。

世間体を気にする両親は特に
【人への挨拶】にはとても厳しく躾されました。

言われれば言われるほど、緊張感と恥ずかしさが襲ってくるので、 みんなが集まる場所や知らない大人に会うときは本当に嫌でした。

「また怒られる」 
「また比べられる」 
「また緊張する」 
「またお姉ちゃんなんだから、しっかりしなさいと言われる」  

いつも親の顔色ばかり伺うようになっていました。


小学1年生の時に、学校の先生から「お手本のようなとてもいい子ですね」と
言われて嬉しそうな母の顔が忘れられませんでした。

「私がいい子でいればお母さんは喜んでくれるんだ」

自分が褒められたことよりも、母親が喜んでくれたことに意味がありました。

「お手本のようなお姉ちゃん」になる自分を演じていたのかもしれません。 

母が「一人じゃ不安だし、危ないから」と心配して、近所の上級生に一緒に登校してくれるよう頼んでくれました。 

でもその上級生からいじめにあいました。

「あんたなんて大嫌い」 
「頼まれたけど本当は一緒になんて行きたくない」  
「ついてこないで!」 

母が見えなくなったところで、その言葉を毎回言われていました。

私もその上級生が嫌いだったし、一緒になんかいたくなかった。

でも母親が心配すると思って、そのことは言えませんでした。

転校することになり、その上級性と離れることができたので、
その時に初めて母に

「実はあの上級生からいじめられてたんだ」 と伝えたら、母は

「なんでもっと早く言わなかったの!」 
とビックリしていました。 

その言葉を聞いて私は「やっぱり言わない方が良かったのかな」と後悔しました。

「いじめられて辛かったね」 
「教えてくれてありがとう」 など、

私の心に対しての言葉は何もなかったからです。

私は頭の回転が速いと褒められることはありましたが、勉強はまったくできませんでした。

そんな私に父も母も
「どうしてこんな簡単な問題なのにできないの?」 
「それはさっきやったでしょ!できるよね?」 
「同じ問題なんだからできるでしょ」 

押し付けの言葉の連続でした。

始めはやさしい言葉で教えてくれていた父も母も、私がなかなか
思い通りに問題が解けないと、だんだんイライラしているのが分かりました。

そして口調も強く厳しくなっていきました。

わたしのこころの中は、できない事への不安やモヤモヤと、親のプレッシャーが入交り泣きながら勉強を教えてもらっていました。

言われれば言われるほどできなくなる自分が、本当に嫌でみじめで悔しくてなりませんでした。

4つ違いの妹は、頭が良く容量が良かったので、私のようなことで両親が悩んだことはありまん。

妹と自分をくらべては
「なんで私はこんなに勉強ができないんだろう」 
「こんな私なんていらない!」 
「私は何をやってもダメだ・・・」 

父や母がいなくなった後、自分の腕に鉛筆を刺したり、自分の頭を叩いたり、顔をつねったりすることもありました。

自己否定の塊になった私は、どんどん自分がいやになっていきました。

中学生になっても大人しく、目立つ事がなかった自分に、クラスの中心で明るく元気な人気のある子と友達になれました。
 
グループの中にいると、とても楽しくて 自分も明るくて目立つ存在になれたような気がしてていました。

でも、同じグループの男の子から、
「お前ってなんか人形みたいだな」 
「大人しくて話しないから」 
と言われました。

その言葉に「私って今までそんなふうに見られていたの!?」 
自分では精一杯明るく振舞って、話もしていたつもりだったのに。
私は人形のような人間なんだ。

「お手本のようなお姉ちゃん」を演じてきた自分が 人に良く見せようとする
仮面を被って中学校生活を送っていたのかもしれません。

高校3年生になって周りの友達は大学受験、専門学校に進学、自分のやりたいことを見つけて進んでいくのに、周りの見る目を気にして、短大進学の道を選択しました。

私は学力もさほどなかったのにも関わらず、「自分も短大に行かなければ恥ずかしい」と思い込んでいたのです。
 
世間体ばかりを気にする両親だったために、できない自分を受け入れることができませんでした。

その結果はもちろん自分が選んだ短大にはすべて落ちました。

受験に失敗して後悔の嵐でした。

「なんであの時もっと自分にできることはないか考えなかったんだろう」 

「なんであの時もっとほかの道を探さなかったんだろう」 

「なんであの時もっと現実の自分と向き合わなかったんだろう」

「なんであの時・・・・・・」 

そんなことばかりを毎日毎日考えては

自己肯定感もない
自分がどうなりたいのか分からない
言いたいこともはっきり言えない
周りからの評価が気になって仕方がない


そんな何もない自分を 

「私ってなんなんだろう」
「生きてる意味があるのかなあ」 

と考えるようになりました。

就職活動をしている時に、なかなか仕事が決まらない私は、とてもイライラしてストレスがたまっていました。

どんな仕事に就きたいかが分からない。

そんな時、父がわたしに言いました。

「まだ仕事が見つからないのか!?」 

この些細な言葉がきっかけで、大喧嘩をすることになり、父との関係はどんどん酷くなっていきました。


父はとてもまじめで仕事に熱心な人でしたが、過干渉なうえに言葉遣いが荒く、
きつい言葉をよく口にしていました。 

でも本人には何も自覚がありません。
 
幼い頃も口ごたえすると、倍になって厳しい言葉が返ってきました。

説明しようとしても、かぶせるように自分の意見や固定概念を押し付けてくるので、
母も私も妹も結局は何も言う事ができません。 自分が悪くなくても謝らなければなりませんでした。

このことで3か月もの間、同じ家にいながら父親は私を無視するようになりました。

耐えきれなくなったわたしは母に
「この家を出ていく!」 
と泣きながら訴えましたが

「あなたが悪いのだから、あなたから誤ってもとに戻るきっかけをつくりなさい」
と言われました。 

金銭的に一人暮らしをする余裕もなく、諦めたわたしは母に連れられ 父に土下をして謝りました。

土下座してまで親に許してもらわなければならない事を、私はしたと思っていません。

でもそうするしかその時のわたしには解決方法が見つかりませんでした。

それからやっと仕事が決まり、人前に出るのが苦手だった私でしたが、ここで自分を変えられるチャンスかもしれないと、窓口業務に携わることになりました。

早く業務を覚えたい一心で自分なりに頑張っていたと思います。

しかし、対面で直接話をすることは緊張しましたが、なんとかしのげていたものの、
何故か電話に対応することがとても辛かったのです。

それを周りの先輩や上司は
「なんで取らないの!!」
「仕事なんだからちゃんとやって!」 
と強く注意されるように。

電話が鳴る度に心臓がドキドキして、周りが自分を見ている緊張感で耳赤くなりました。

「上手く話せなかったらどうしよう」 
「聞き取りが上手くできない」 
周りの目がきになる」
「間違えた事をいったら恥ずかしい

そこでの業務に抵抗感があった私は、ノルマも全く達成できず、同じようにできない同僚もいたのに、その人はできなくても気に入られ、わたしは上司に陰で悪口を言われていました。

10代の時から、お付き合いする人には依存性があり、少しでも冷たい態度をされると不安でたまらなくなったり、いつも相手の顔色を伺っていました。

相手の好みに合わせて服装や髪型を変える

わざと相手の愛情を確かめるような行動をする

無理をして相手に合わせる


それらが原因で私は長いお付き合いをすることができませんでした。

でも、そんな私にもご縁があり、結婚して35才の時に息子をひとり授かりました。

この頃のわたしは本当に今までいろいろあったけれど、それはこの幸せの為にあったのだと 前向な気持ちで毎日心穏やかに過ごしていました。

しかし、妊娠初期から夫が家に帰らなくなってきました。

仕事が原因だと言われて、それを私は疑いもせずに信じて待ち続けていました。

でもある日を境に夫の私に対する態度が急に冷たくなったのです。

「何かわたし悪い事でもした?」 
と聞いても 「別に・・・」

話もすぐにはぐらかされ、夫の心が分からなくなっていきました。


子供が生まれてからも、それは変わりませんでした。

夫に相手にされなくなったわたしは、子供に依存するようになりました。

それを良く思わなかった夫は、まだ赤ちゃんだった息子に
暴言を吐くようになり・・・・。

それを聞いて私は初めて夫の事が怖いと思いました。

「とにかく子供を夫と二人きりにすることはできない!」 と細心の注意をはらい
そんな生活が3年近く経った頃、夫の借金が発覚しました。

それと同時に家に帰らなくなった理由を知ることになったのです。

その事実に私は全身に鳥肌が立ち、今まで私はなぜ気づけなかったのだろうと自分を攻めました。

本当は気づけたはずなのに、現実から目を背けていたのかもしれません。

表と裏の顔を持った人だと分かった時は、相手に対しての怒りと絶望感と不安と悲しみの 感情でいっぱいでした。 

そんな私に家族や知り合いの人たちは

「あなたの見る目がないから」
「そんな相手を選んだ自分が悪い」 

と言われました。

わたしはわたしなりに頑張ってきたし、
相手の事も気にかけてきたつもりだったけれど、

「わたしがダメなんだ・・・」
「こうなった原因はすべて私なの・・・?」
「誰も私を認めてくれない・・・。」

愛着障害の傾向があったために、パートナーとの関係がうまくいかなったのかもしれません。

夫は離婚に猛反対して、泣いて謝ってきましたが、わたしにはこれ以上夫婦でいる意味がないと決断し、短い夫婦関係に終止符を打ちました。

私の精神状態はボロボロでした。何をしていても涙が止まらない。

でも・・・「私には育てていかなければいけない大切な人がいる。」

そのことだけに意識を集中して絶望感を胸の奥底に沈め、出てくることの ないように蓋をしまた。

仕事をしていなかった私は、実家に戻りました。

せっかく家を出られたのに、また自分が原因で過干渉の毒親両親の元に戻ってきてしまいました。


シングルマザーになり、特に何かスキルがあるわけでもないし、特技があるわけでもない私に仕事が簡単にみつかることはありません。

社員で働くことはかなり難しかったので、とりあえずパートで働く事を決めました。

そんな矢先にまた不幸が訪れることとなります。

注意深い父が交通事故に合い入院し、その数日後数少ない友達の一人で、とても明るく前向き友人が癌で亡くなりました。

いくつもの悲しみの連鎖に巻き込まれ

「わたしは何か悪い事をしたのだろうか?」


「幸せになることを望んではいけないのか?」


「なんで他の人と同じように、ただ普通の生活を過ごしたいだけなのに」

心の中で何度も何度も叫び続けました。


心療内科やカウンセリングを受けた方がいいと進めてくる人もいましたが、とにかく仕事をして子供を育てていかなければと無理やり気持ちを奮い立たせて仕事をするしかありませんでした。

自分に使う時間があるなら、働かなければと思ったのです。

子供が幸せならそれでいい。

自分のことはどうでもいいと思っていました。

自分の子供には、私の両親の様な子育てはしたくない!と常々思っていました。

いい母親でありたい、子供にとって自慢のお母さんでいたい、
なんでも相談できる友達みたいな母親でありたい
という気持ちが大きすぎて過干渉の親・・・。

つまり「毒親」になっていたのです。

自分の理想を押し付けていただけでした。

「宿題はやったの?」「手は洗ったの?」「早く支度しなさい!!」

いつも息子がその通りにしないとイライラして、不機嫌な態度や表情をしていました。

他にも自分でやらせなければいけないことも、ついつい手がでてしまい先にやってしまう。

だからといって、ここは自分にやらせなければと手をあえて出さなかったりもしました。

こんな自分を【子育てはとてもよくできている】と勘違いしていたのです。

中学1年生になって、だんだん親離れが始まり、前ほどではないけれどそれなりに話もしてくれるし、一緒にいる時間もある。 

部活に勉強に頑張っている姿をみていて、
「順調に育っていてくれてありがとう!」
と安心していました。

それとは逆に息子の心はだんだんと、暗闇の中に少しずつ落ちていっているなんて思いもしませでした。

「なにをやってもおもしろくない」
「いい事がない」
「悪い事しかおこらない」 

と愚痴を言うようになってきて、

「どうしたんだろう、なんか機嫌でも悪いのかな?」
「思春期で微妙な年頃になってきたし」
「ほっておけばまたいつもの明るい息子に戻るでしょう」 

と深く考えていませんでした。

しかし、息子がインフルエンザを患ったことがきっかけで、息子は今までの息子ではなくなっていきました。 

隔離されて何もやることがないので、ゲームやスマホばかり見ている毎日が続き、そこにちょうど学期末テスト前の大切な時期と重なってしまった為に、
テスト勉強をしなければいけないのにできない自分を責め続け、
息子はどんどん心が病んでいきました。

癇癪を起したり、壁や物に当たり散らしたり、奇声を発したり、無気力になったり。

それを見ていた私はもうどうしたらよいのか分かりませんでした。

「今みたいな状態なら死んでもいいかな・・・」

この言葉に私は涙が止まりませんでした。

大切に育ててきた息子に「死んでもいい」という言葉を言わせてしまった。

自分が悔しくて悲しくて虚しくて・・・・。

息子の登校拒否が始まって、ゲームとスマホばかりしている毎日が始まりました。

私は必死でいつもの息子に戻るにはどうしたらいいのか学校の先生やスクールカウンセラーに相談したり、不登校についての本を読んだりネットでそれについて一晩中調べたりしました。

そしてこの時自分が「毒親」であることを知りました。

「自分が一番なりたくないと思っていた母親になっていたなんて・・・」

もともと息子はネガティブ思考で、自己肯定感がありませんでした。

「どうせ自分なんて・・・」 何かあると必ずそう自己否定することばかりでした。

毒親に育てられた私が、知らず知らずに同じことを息子にしていたからでしょう。

今の自分にはまず何ができるのかを必死で考えました。

「ここで自分が諦めてしまったら息子もこのままかもしれないし、
わたしも毒親から抜け出せない。 

自分のこころが分かるようになって、自分を好きになれて、
いつもポジティブな自分でいられるようになったら、、
息子のことも分かってあげられるかもしれない。

私が変われば息子も変わるかもしれない」

そう思ったわたしは、心の問題をどうにかしたいと心理学の講座を受けることにしました。

心理学を学んでいく中で、自分が今まで当たり前だと感じていた事が実はそうではなかったこと

自分はHSPアダルトチルドレン愛着障害であったことを初めて知りました。

そして学べば学ぶほど、自分はありのままの自分でいいんだと思えるようになっていきました。

こころの仕組みを知ることで、今まで自分のことが大嫌いだった私が、
少しずつ好きなところが増えていきました。 


インナーチャイルドを癒すことで自分に「安心の土台」をつくることができたのです。

幼いころの「作り笑顔」の自分に、
「もう作り笑顔をしなくていいんだよ」
「将来のあなたは本当の笑顔になることができるんだよ」 
と伝えてあげることができました。

そして子供が幸せでいれば、自分の幸せは必要ないという考え方も、
自分が幸せにならなければ、子供も幸せになれないと考え方が変わりました。


子供は母親の顔をよく見ています。

お母さんがいつも笑顔でいることはとても大切なことだと思いました。 

同じチームで働いていた人の中に、何に対してもネガティブに捉えてしまう人がいました。

いつも周りの人の目を気にしていて、少しでも愛想がない対応をされると、
「自分は嫌われている」 
と思ってしまうのです。 

「誰にでもそのような態度をする人だよ!」と同僚に伝えても、
「私のことを見下している」 
「言い方がきつかった」 
など悪い方にしか捉えることができません。

ネガティブ思考をなくすことはできないけれど、ポジティブ思考を増やすことで
物の見方、捉え方が変わっていくことを伝えていきました。

その同僚は少しずつですが、ネガティブなことを言う回数が減っていきました。
苦手意識のある人とも、自分から会話ができるようにもなりました。

「お休みの日にまで仕事のことを考えては憂鬱になる」

「まだ起きてもいない仕事の心配事をお風呂の中で考える」

「自分の置かれた立場以上の成果を出さなければいけないと思っている」

そんな同僚たちにも、同じように前向きな考え方やポジティブ思考になることのメリットなどを伝えていきました。

「いつも前向きになれるように声をかけてくれてありがとう」

「傍にいてくれたから、私は今の仕事を続けていられる」 

など、ありがたい感謝の言葉をもらったこともありました。

こんな私でも、人の役に立てた事が本当に嬉しかったです。

「○○でなければ幸せになれない」は間違った考え方です。
私もそう思っていたひとりでした。

でも心理学を学んだ事で、人は自分の幸せをコントロールすることができるということを知りました。 今ある自分をまるごと受け止めてあげることがとても大切だということ。


ネガティブな感情は必ず人間にはあり、無くすことはできません。
でもそのネガティブな感情も大切な感情のひとつです。

ポジティブな感情とネガティブな感情のバランスを保つことができれば
あなたのこころの視野が広くなって、今まで以上に物事がスムーズに動き始めます。


一人でも多くのひとがこの【感情】と上手に向き合うことができるようになって、
毎日が

「楽しかった!」
「いい日だった!」 

と言えるように、

そして小さな幸せを、毎日ひとつでも見つけることができるように
私がサポートさせていただきます。


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